だいぶ前から俺も突入してるオッサン世代。人生ここまで来ると、若い頃と比べて環境がだいぶ変わる。
特にダチ関連が変わる。何だかサッパリ話の合わないヤツが大量に出てくる。
令和も3年目に突入した2021年、若い頃は微塵も予想していなかったコロナ時代の今、考えた事をタレ流してみた、超個人的なメモ。
もくじ
- はじめに
- 行動原理は2つ
- やりたくないことは 実は全てできる
- メンドクサイ=若さの減衰
- 最も話が通じない「やりたいことが無い」系のオッサン
- 逆に「何でもウェルカム」みたいなオッサンは怪しすぎる
- ネガをポジに変換できるスキルが重要
- 本当に「やらなきゃいけない」のかを判定せよ
- やらなきゃいけない事 などたいして無い
- やりたい事を明確にしなければならない2021
- 面白いか否かを重視した方がよい
- 仕事の文句を垂れるくらいなら即辞めろ
- まとめ
世の中には「やりたい」けど「できない」事がある
はじめに
人生経験が豊富になってきた(ような気がする)オッサン世代。
若い頃(~20代)は横一列だった(と、勘違いしていた)人間の基本スペックが、積み重ねてきた人生経験値の差によって急拡大する時期。
具体的には、4流企業の社畜平社員~国会議員まで、大きな差が開く・・・
まー、別に4流企業の平社員が悪い、負け組だ、クズだ!・・・とかそういう訳では無いが・・・(なお俺は、負け組だの勝ち組だの言ってるヤツは阿呆だと思っている、そんなもん死ぬまで解らんし。例えば広島の某議員とかさー・・・アレ、この後に大逆転あるの?)。
社会的ポジションに関係なく基礎的なマインドに差がありすぎて、どうやっても話がかみ合わない人々がいる(たとえ共通の趣味があっても)。
この差は、どこで生まれたのだろうか?
社会の枠外に逸脱ぎみな超自由スタイルの俺が、いろいろな人を見たり、話を聞いたりしてきた昨今、原因の一つに・・・
基礎行動様式の違い(「メンドクサイ」判定基準の相違)
があるのではないかと最近感じている。
行動原理は2つ
ちなみに俺の行動原理は、2つしか無い。
それは・・・
- やりたいこと(ポジ)
- やりたくないこと(ネガ)
この2方向。
そして、A.「やりたいこと」(ポジ)は・・・
- できること(→即実行に移る)
- できないこと(→できるようになってから実行に移る)
の二段階に分かれる。
何らかの原因で、やりたくてもできないことがある。
3大 できない理由
- お金
- 技術(知識)
- 体力(健康)
経験上、できない理由の99%はこの3つのどれかである(しがらみ、世間体、TPOは原則ブッチギる派の俺、ただし2020年から時限的?にコロナが加わった)。
しかし、資本主義社会の日本では、お金さえあれば他2つの要素はカバーできる。
この仕組、非常に問題があると思うけど、事実なのでしょうがない(極端な話、多少健康を害してもお金があれば何とかなるけど、なぜか逆のパターンの方が生きにくいという謎)。
やりたくないことは 実は全てできる
いっぽう、先程のB.「やりたくないこと」(ネガ)には・・・
「できる or できない」という判断材料は無い。なぜなら、「できる」事が解っていないと、判定自体が不可能だから。
つまり、やりたくないことには・・・
- 「やりたくない」けど「やらなきゃいけない」こと
- 「できる」けどあえてする意味がなく、単に「やらなくても良い」こと
に分かれる。
「できる」からこそ、「やりたくない」のが解る。
・・・と俺は思っているのだが・・・世の中には「できない」から「やりたくない」などとフツーに言い放つ、謎のオッサン(オバサンも、以下略)がたまーに居る。
でもコレね・・・「何でできないの?」「何が必要なの?」て即、ツッコまれるから・・・そこで理由を説明できないとショボイオッサン認定される。
だから、このような返答をしてはいけない。だったら最初から正直に「やりかた解らないから」とか「ダリー/メンドクサイから」とか言えば良いのに・・・
単に「できない」などと即答してしまったら、知識の無さを逆に露呈しているようなものではないか。思考停止気味なくせに変なプライドが先行してるメンドクサイ謎のオッサンの中には、ソレすら気づいてないのが居て、ツッコまれると支離滅裂な言い訳したりするのとか居るけど・・・
アレはマジでイタイ・・・「いくら掛かるか調査してみます」くらいの事、言っとけって・・・
まぁ、そういうのは論外レベルとして・・・真にメンドクセーオッサンは確信的に「ダリー/メンドクサイから」と言い放つ人物である(つまり俺)。
この人物は、「やり方を知っている」のだ。
メンドクサイ=若さの減衰
「できる」けど、「やりたくない」・・・
この解が、「メンドクサイから」である(更に言えば割に合わない)。
これが、オッサン世代最大の罠だと俺は思う。
若い時は経験値が積み重なってないため、面倒くささ(特に経済性、端的に言えばコスパ)が、イマイチ解らなかった。
だから、世の中たいていの事が「やりたい」or「解らない」ことだった。やりたくないことは非常に少なかった(俺もそうだった・・・はず)。
人生経験値が少ない若者は、できない理由など判定不可能なのがフツーだし、その先の「損するor得する」なんて考えてない。
とにかくなんでも「やりたい」。これが、若さなのではないか。実際に、体力と気合と根性は有り余ってる。したら「メンドクサイ」には陥りにくい・・・
・・・しかし、しかしだ・・・体力が減衰しまくったオッサン世代には、もはや知識と金しか残されていない。この限られたリソースの中でやりくりするためには、「メンドクサイ」事を避けようとするのは自然な流れ・・・まぁ、ある程度は仕方ないだろう・・・
誰でも年はとるし、イヤな事もある・・・
部下だったらガチでメンドクセーヤツだが、人間的にはあくまでフツーの範囲。
程度の差はあれ、ある程度メンドクサがるオッサンは、しょうがない。
ここで、最初の話に戻ると・・・この「メンドクサがり度」の「程度(病気風味に言うとステージ)」が、サッパリ話が通じない度合いに通じるのではないか・・・
最も話が通じない「やりたいことが無い」系のオッサン
最初のマインド状態を、現在進行形のオッサン(生活状況)に当てはめると、3つのパターンが存在する・・・のではないかと最近感じる。
- Aの「やりたいこと」ができているオッサン(社会的地位は高い事が多い)
- Aの「やりたいこと」ができてないが、いつかできるように、Bの「やりたくない」けど「やらなきゃいけないこと」をしているオッサン(地位は高くないが人望はある人が多い)
- Aの「やりたいこと」はできてないが、メンドクサイので「やりたいことが無いから」という事にし「やらなきゃいけないこと」をやらずに「やらなくてもよい」が「できる」「どうでも良いこと」を、ループするオッサン(話が通じない人が多い)
・・・3のオッサンが闇。
別に悪い事はやってないから犯罪者でも何でも無く・・・害は無さそうに見えるが・・・闇は深い。
なんつーか・・・未来が見えない。
逆に「何でもウェルカム」みたいなオッサンは怪しすぎる
未来が見えない闇の中をヌルく行進しているオッサンは・・・良くは無いが決定的に悪いワケでもなく・・・ネガポジで言えば、ニュートラル付近に近い。
先程のとおり、「メンドクサイ」のは、当たり前の事であり、別に犯罪者というワケでも無いから。
・・・けど、これに対して、世間体を声高に唱えるエセお利口さん(詐欺師っぽいヤツ多い)の中には・・・
「大人だからそういう思考はダメ」
だとか
「それでもやるのが大人」
みたいな事を言ってくるヤツがいる。俺はそういうヤツは嫌いだ。てか信用できない。
若者なら考える前に勢いで行動できるけど、そんなパワーなど残っていないオッサンに、ソレを要求するのはただのイジメではないか。
人はマシーンじゃないんだから、全方位常にポジティブな鉄メンタルなんてありえないんだよ。
まぁ、比較的鉄メンタル装備の俺などにそういう事を言おうモノなら・・・
「てかじゃぁさ、オマエめんどくさくても何でもヤルって事だろ? したら、今からする俺の要求を全部無条件でやってくれや、たのむわ。金は1万しか無いけど頼むわ」ってな話をしちゃうわけよ。
でもそういうヤツに限って100%、重要な場面で言い訳をして逃げるね・・・結局オマエもメンドクサイんかーい・・・的な。
まぁたぶん、俺は儲からないヤツだ(カモにできない)と悟ったからなんだろーが(詐欺師扱いの所以)。
ネガをポジに変換できるスキルが重要
程度の差はあったとして誰でも、「メンドクサイ」という感情はあるわけで・・・
ただ、どっちかと言えばネガ要素があり、良いか悪いかで2極化して言えば、確実に良くない方に入るワケで・・・
それを、どこまで許容するかの話なだけで・・・
少なければ別にオッケーであり、過剰になるとよろしくない。要は「程度の問題」。
「ちょ~メンドクサイ」の最終形態は「息するのメンドクサイ」であり、「じゃぁ死ねば良くね?」ってことだが、それは確実に良くないだろー的な。
さっきの話、デキ(て)るオッサンには、この「メンドクサイ」という感情が薄い・・・てか無い(っぽい)人が多いと感じる。
うまく自己抑制しつつ違う感情に転換するスキルを身に着けているのだと俺は思う。
これに加え、ガチメンドクサイ案件を絶妙にスルーするスキルも習得していればベスト(このスキルMAXなのは政治家)。
そしてこれが人生経験であり、いわゆる世間で言う世渡り上手というものなのかもしれないなぁ・・・と。
本当に「やらなきゃいけない」のかを判定せよ
でも、ド直球なんでもDIY派の俺に、そんなスキルは無ぇー・・・
てか、フツーのオッサンには無い。しかし、時間と金と体力は限られており、全ての事を全部ヤルのは不可能。リソースの割当をやりくりしてなんとかするしか無い。
即ち、ガチで「やらなきゃいけない」ことからやるしかない。
そこでコロナの中、改めて考えた・・・人類普遍のガチで「やらなきゃいけない」こととは何だろうか?
やはりこれは、「実行しなければ死ぬ」案件ではなかろうか。
このままでは寒くて凍死する・・・餓死する・・・家屋が倒壊する・・・とかそういうヤツだ。つまり衣食住。職業はこれに入らない。
実際に一昔前に、政治家をクビになった埼玉の、このハゲちがうだろさんや、4流会社をクビになった某ダチも、今でもしっかりと生きている。
一番大事なのは衣食住であり、それを確保するために職業があるのだ。仕事の優先順位は実は低い。
・・・んだけど、現在の日本は豊かな(だった)ためか、とても実感しにくくなっている。余程の不幸が重ならない限り、衣食住全てが失われる事はまず無い。
たまに完全無計画&無宿旅をしてる俺みたいな人種は、常に自宅の有り難さが実感できてる(途中で大地震が起きたり、台風が直撃したりすると更にアップ)けどね・・・都市でフツーの生活をしていると衣食住の確保を実感するシーンは少ない。
だから、ガチで「やらなきゃいけない」ことの最低ラインが「仕事の確保」みたいな風潮になっていた(前述の通り最低ラインは衣食住であり、仕事はその手段である)。
しかし、コロナ騒動で激変。今回、皆一度は身辺整理(大掃除や断捨離)をしたはず・・・そして不要なものが見えてきた・・・世間で言われている最も顕著な例はテレワーク。要はホワイトカラー層の通勤。
あんなの要らなくない? と、俺はずいぶん前から思ってたけど・・・マジ何であの人ら通勤してたのだろうか? オフィスビルデベロッパーと交通機関に搾取されてただけなんじゃねーの?
そもそも衣食住の確保に、なぜ長距離通勤が必要なのか・・・そこに、「やりたいこと」はあったのだろうか?
ちなみに俺は無かったので、東京に住むのをだいぶ前に辞めた。
「やりたいこと」でも、「やらなきゃいけないこと」でも無かったから。
やらなきゃいけない事 などたいして無い
2020年のコロナ最中、改めて深く考えると・・・実は「やらなきゃいけない」事なんて、たいして無いのではないか・・・と何回も感じた俺。
「やりたいこと」ができていないから、いつかできるように、「やりたくない」けど「やらなきゃいけないこと」としてやってたけど、実はソレって「やらなくてもいいこと」だったんじゃね?
本当にやらなきゃいけない事は別なんじゃね? と・・・
てか、日本国民が最低限「やらなきゃいけない事」って、教育(を受けさせる)、勤労、納税、この3つだけじゃね?
極端な話し、確定申告した時点でほぼ全部クリアしてるんじゃね?(公立学校は税金で運営されてる)。
まぁ程度の差(課税額)はあるけど、これ以外は一切強制されないのが、この国のイイところだとマジで思う。日本国憲法は偉大(なお、俺は共産主義は大欠陥思想だと思っている・・・隣の大国だったら投獄されてるレベルで)。
たまーにさー、必至に「やらなきゃいけない」「こうあるべき」アピールしまくってる人が居るけど、なぜかそういう人に限ってショボい4流企業に務めていたりするんだよね・・・
本当にやらなきゃいけないのか? ソレ? やりたい事に繋がってるの? 的な疑問しかない。
やりたい事を明確にしなければならない2021
オッサン2021、これが大事ではないか。
しかし、前述の衣食住の要素をココに入れてはいけない(当然入っているものとして扱う)。人生経験が積み重なってるオッサンが、そんな愚かな事をしてはいけない。
最低限度の金の稼ぎ方は解ってるはずだから。※
そして、ココに最大の差がある。今までの人生経験値が顕著に出る。
先程の
- 「やりたいこと」ができているオッサン
- 「やりたいこと」ができてないが、いつかできるように、Bの「やりたくない」けど「やらなきゃいけないこと」をしているオッサン
ガチでデキてる(最低限度の金の稼ぎ方は解ってる)人になるのが理想だが、せめて、2の思考を薄めて、1の「やりたい」から「やってる」状況に近づかなければならない。
しかし、1の人はなぜ実現できたのか?
俺はこう考えた・・・
※ガチダメでも、そこは今まで税金払ってきたんだから国に頼れ。
面白いか否かを重視した方がよい
つまらない事より、面白いことをやった方が良いに決まっている。つまらない事を率先してやる事など、良く考えたら100%あり得ない。
んが、実際にはつまらない事を延々やっている人たちが居る・・・
3の「やりたいこと」はできてないが、メンドクサイので「やりたいことが無いから」という事にし「やらなきゃいけないこと」をやらずに「やらなくてもよい」が「できる」「どうでも良いこと」を、ループするオッサン
である。
なぜそうなってしまったのかは、深い事情があるのかもしれないけど、特に無い人も居るから世の中、闇が深い(典型例は、やりがい搾取の絞りカス、西成で感じたアレ)。
一方、1の一歩手前「やりたいこと」がソコソコできているオッサンも多い。
これは、面白さを若いうちに突き詰めていたら、大なり小なり「面白い」と思う事の上に現在の仕事が成立した人のことだ。
「やりたい」事をやっていたら、「やらなきゃいけない」事は自動的にカバーされちゃってるパターンの人には、メンドクサイという概念は既に無く、「面白くてやりたいからやってる」に転換されてるのではないか。
仕事の文句を垂れるくらいなら即辞めろ
最初の話に戻る。なーんか話が合わないヤツだなー・・・と俺が感じるラインは・・・
プライベート(メシとか飲み)で仕事の文句を垂れるヤツ
プライベート(メシとか飲み)で仕事の改善策を探ってくるヤツ
この間にある。もちろん後者と俺は話が合い、前者はクッソつまらんので即帰る(時間の無駄)。
てか、ガチで世の中には・・・ひたすら仕事や上司の文句を垂れてくるヤツが、実際に居る・・・ホントマジでさー・・・あえて言うけど、感覚がブッ壊れてんじゃねーの?
オッサンなんだからちょっとは考えろよ・・・って話だよ。
仕事の文句を垂れるヤツは信用できないって。
じゃ、辞めれば? 何でオマエやってんの? て話になるワケよ。
まぁ、コレを言うと、二言目には「やらなきゃいけない」から。となるんだが・・・前述のとおり、この原因は「やらなきゃいけない」からじゃなくて、「経験値の積み重ねが甘く」スキルを身に着けてないからなんだよ・・・
勉強して改善するか、それが無理なら生活レベルを調整すりゃ良いだけだろ・・・てな話になるんだが・・・
変なプライドが邪魔してるんだか思考停止してるんだか知らんが、ひたすら見栄張って散財してるどうしょうもないオッサンたちが、実際に居る(てか、つい1年ほど前、身近に居た。ここには書けないが、共通の知り合い全員が彼の破滅を予見、その後、音沙汰はない)。
話を戻すと・・・文句を垂れるくらいならその仕事、向いてないんだから辞めりゃ良いんだよ・・・何で辞めねぇのよ・・・20代なら「あと2年くらいやってみて判断すれば?」的な話をしてあげるところだが、もうオッサンなんだから自分で気づこうって・・・
10年以上やってるのだから、自分に向いてないのはもっと前に解ってたでしょ・・・てことはつまり、決断力がショボいのを自ら晒してるワケで・・・
決断力がショボい人材を責任者にする会社など無いので・・・つーか責任ある仕事に就いた事が無いのがバレるワケで・・・ちゅうことは責任の担保の仕方が解らない(スキルない)ワケで・・・したら信用できない(されてない)という論理が成り立つワケで・・・
まぁ俺は一応・・・
「即辞めて新しい事始めた方が人生楽しいんじゃね?」
とは言っておくことにしているが、そういうヤツに限って、人の言うことは一切聞かない・・・
つまり、マインドが違い過ぎて話が合わないのである
まとめ
てことで、メンドクサイオッサンになってもある程度は構わないが、メンドクサがるオッサンにはならないように気をつけたい・・・
てか、ここ数年バイクツーリングしまくっといて本当に良かったなぁ・・・と、つくづく感じた、2021年元日。
てかマジ・・・今年は何やるかね・・・